親鸞聖人上陸の地 居多ヶ浜

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居多ヶ浜

親鸞聖人上陸の地

新潟県の居多ケ浜にいってきました。

ここは、親鸞聖人が流罪になり、この浜に上陸したといわれています。

承元の法難といわれ後鳥羽上皇により法然門下の弟子達が流罪や死罪にあった大きな事件です。

看板には

承元元年1207年春の初め、念仏停止によって越後国府へ流罪となった親鸞聖人は、ここ居多ヶ浜に上陸しました。

親鸞聖人は35歳から42歳までの7年間この国府で過ごしました。

と書かれています。

看板の裏にも書かれていますが、親鸞聖人にとって新潟とは妻である恵信尼様と出逢われたことだけでなく、親鸞聖人自身の著作に数多く登場する海の表現はここ新潟での海が大きく関わっているのではないかとも言われています。

この日11月下旬は非常に海が荒れていました。

念仏発祥の地

念佛発祥之地と書かれた石碑が建っております。

これ自体は大谷派の先生である金子大栄氏の揮毫だそうです。

雨でよく見えなかったのですが、後で金子先生の書だと知ったので、ちゃんとみておけばよかったと後悔しています。

御伝承

石碑に刻まれた

もしわれ配所(はいしょ)におもむかずは何によりてか辺鄙(へんぴ)の群類(ぐんるい)を化せん。

これ猶、師教(しきょう)の恩致(おんち)なり。

と「御伝鈔」という親鸞聖人の生涯を書かれた伝絵に新潟への配流を喜ぶ言葉が刻まれています。

六角堂「見真堂」

一番奥には親鸞聖人坐像が安置されている「見真堂」と言う六角堂が建てられています。

六角堂は非常に親鸞聖人に縁の深い建物で、法然上人に弟子入りする前に、京都六角堂に100日間の参籠をして、夢告を受けて法然上人の元を訪ねたと言われています。

片葉の葦

片葉の葦とは親鸞七不思議と言われるもので、片側にしか葦の葉が生えていないものですが、親鸞聖人が越後を離れ関東に旅立つ時に人々だけでなく、葦までも別れを惜しみ関東に向かって手(葉)を合わせたと言い伝えられています。ですので越後の片葉の葦は、全て関東に向いて(南側)に向いて歯が生えていると言われています。

それにしても非常に北風の強い日でしたw

しかし、その自然現象すら、親鸞聖人に紐付けて考えるほど親鸞聖人がここ越後で大切にされていることが窺える場所でした。

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