一口法話「倶会一処(くえいっしょ)」。

「倶会一処(くえいっしょ)」。

これは、阿弥陀さまのお浄土で、また必ず共に会えるというお言葉です。

大切な方を見送ったあと、胸の奥がぽっかり空くような時がある。けれど仏さまは、別れを“終わり”にしないでくださいます。

「また会いましょう」と、先に約束を置いてくださる。それが「倶会一処」だと私はいただいています。

そして、この言葉を胸に置くと、お墓の見え方が変わってきます。

お墓は、亡き人を閉じ込める場所ではありません。

むしろ、家族がもう一度、仏さまの前で心を合わせるための「共通の待ち合わせ場所」なのだと思うのです。

お墓参りに来ると、みんな言葉は少なくても、ちゃんと手を合わせます。

「みんな元気だよ」

「こんなことがあったよ」

「安心してね」

その一つ一つが、亡き方へ向かうと同時に、仏さまへ向かう“今の私たちの願い”になっていく。

そしてそれはそのまま仏様やご先祖さまから向けられた”私たちへの願い”になるのではないでしょうか。

だから不思議と、帰り道には少し背筋が伸びる。心が整っていく。

お墓は、悲しみを抱える場所でありながら、同時に、私たちを支える場所にもなってくれます。

お墓に亡き人はいるか??

この問いは私なりの答えは決まっています

いるかいないかは分かりません、ただし必ず会える場所です。

お墓は、誰か一人が重荷のように背負うものではありません。

家族みんなで守り、みんなで集まり、みんなで手を合わせていくものです。

子どもが走り回ってもいい。孫の笑い声があってもいい。昔話が出て、時には涙が出て、それでも最後は「また来よう」と言える。

そういう賑やかで温かな集まりこそ、阿弥陀さまが一番喜んでくださる姿ではないでしょうか。

石のお墓は、ただの“形”ではありません。

年月が経っても、そこに行けば手を合わせられる。

そこに行けば、家族が集まれる。

ご縁がほどけそうになった時でも、もう一度結び直せる。

そのために、私たちは石に、場所に、形に、願いを託します。

「倶会一処」

お墓は別れのしるしではなく、再び遇う願いを確かめる場。

そして、家族が仏さまのもとで一つのご縁に結ばれていることを、静かに思い出す場です。

どうか、お墓を“ひとりの責任”にしないでください。

みんなで集まって、みんなで手を合わせて、みんなで帰っていく。

その積み重ねが、亡き方を一番あたたかく、私たち自身を一番あたたかく支えてくれるのだと思います。

南無阿弥陀仏

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