初めて神田明神に行きました

山田昌史

1級お墓ディレクター・真宗大谷派教師・建築石材アドバイザー・石材産業協会災害委員の私が書きました!

名前は昔から知っていたものの、実際に境内に足を踏み入れたのは今回が初めてです。石材業を営む身として、境内のいたるところにある立派な石造物にもつい目が行ってしまい、気づけば予定よりずいぶん長居してしまいました。今回はその「初めての神田明神参拝記」をお届けします。

最寄り駅(JR御茶ノ水駅・秋葉原駅など)から歩いていくと、まず出迎えてくれるのが冒頭の写真の朱色の門。「隨神門」と呼ばれるこの門は、昭和50年(1975年)、昭和天皇のご即位50年を記念して建立されたもので、総檜造り・入母屋造の立派な建築です。門の左右には、豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)と櫛磐間戸神(くしいわまどのかみ)という随神(神様をお守りする神)の像が安置されており、邪悪なものが境内に入り込まないよう見張っているのだそうです。近くで見ると彫刻の細かさに圧倒されます。

正直に言うと、行く前は「秋葉原の近くにある有名な神社」くらいのイメージしか持っていませんでした。ところが境内の由緒書きをじっくり読んでみると、その歴史の長さに驚かされます。

神田明神の正式名称は「神田神社」。ご創建はなんと天平2年(730年)と伝わり、令和12年(2030年)には創建1300年を迎えるといいます。もとは現在の大手町付近、江戸城の中にあったそうですが、徳川家康が江戸に幕府を開く際、江戸城から見て鬼門(きもん・北東の方角)にあたる現在の地へ遷座させ、城と江戸の町全体を守る「江戸総鎮守」としたのだそうです。江戸時代を通じて徳川将軍家からも篤く崇敬され、現在も神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内など、都心のオフィス街や商業地を含む108の町会の総氏神として祀られています。

神田明神には3柱の神様が祀られていて、縁結びの大己貴命(だいこく様)、商売繁昌と医薬健康の少彦名命(えびす様)、そして厄除け・勝負運の平将門命という、日常生活に直結するご利益が一度に揃っています。

平将門命は、平安時代の武将で関東の守護神として篤く信仰されてきた神様で、延慶2年(1309年)にご祭神として奉祀されたと伝わります。ビジネスパーソンが多く参拝に訪れるのも納得の由緒でした。

参拝した日は「夏越の大祓」の時期でした

ちょうど訪れたのが6月から7月にかけての時期で、拝殿前には「夏越大祓式(なごしのおおはらえしき)」の案内と、藁で編んだ大きな輪が用意されていました。これは日本古来の神事で、毎年6月30日(晦日)に行われる「大祓」のひとつです。昔は梅雨から夏にかけて疫病が流行りやすかったことから、一年の前半で知らず知らずのうちに身についた穢れを祓い清め、これから迎える夏を無事に乗り越えられるよう祈願する行事なのだそうです。

作法としては、次のように「8の字」を描くようにくぐるのが一般的とされています。

  1. 正面でお辞儀をしたあと、左足から輪をまたいで左回り
  2. 再び正面でお辞儀をしたあと、右足から輪をまたいで右回り
  3. もう一度正面でお辞儀をしたあと、左足から輪をまたいで左回りし、そのまま拝殿へ参拝。

この慣習の起源は『古事記』に記された伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらえ)にまでさかのぼるといいますから、1300年以上前の神社の歴史とも重なる、実に奥深い行事に偶然立ち会えたことになります。

盆栽と大黒様、そして意外な現代建築

拝殿の手前には、大きな石造りの器に植えられた立派な松の盆栽が展示されていました。長い年月をかけて仕立てられたであろう枝ぶりに、思わず足を止めてじっくり見入ってしまいました。神田明神は境内の随所にこうした季節ごとの盆栽や生け花が飾られており、江戸の粋を今に伝える神社ならではの雰囲気を感じます。

また、境内には昭和51年(1976年)に建立された高さ6.6メートル、重さ約30トンという石造りとしては日本一の大きさを誇る「だいこく様尊像」もあります(今回は時間の都合で撮影できませんでしたが、次に訪れた際はぜひじっくり拝見したいと思っています)。石材を扱う仕事をしている者として、このスケールの石像がどのように運ばれ、据えられたのか、技術的な興味も尽きません。

境内を歩いていて驚いたのが、社殿のすぐ隣に「神田明神文化交流館 EDOCCO(エドッコ)」というモダンなガラス張りの複合施設が建っていたことです。伝統的な社殿とスタイリッシュな現代建築が違和感なく並んでいる光景はなかなか新鮮でした。館内のテラスに上がらせていただくと、緑青色の屋根が美しい本殿の向こうに東京スカイツリーが見えるという、江戸と現代が重なり合うような絶景が広がっていました。

1300年の歴史を持つ神社が、伝統を守りながら今もこうして進化を続けていることを実感した瞬間でした。

江戸三大祭「神田祭」との関わり

神田明神最大の行事といえば、日本三大祭(京都・祇園祭、大阪・天神祭と並ぶ)かつ江戸三大祭(山王祭、深川八幡祭と並ぶ)に数えられる「神田祭」です。その起源は徳川家康が関ヶ原の合戦の勝利をこの神社に祈願し、見事勝利を収めたことから、家康自らが「祭を絶やすことなく執り行うように」と命じたことにさかのぼるといわれています。江戸時代には将軍や御台所が上覧したことから「天下祭」とも呼ばれ、庶民にも大変親しまれてきました。現在は2年に一度、本祭が行われ、氏子である108の町会から200基を超える神輿が繰り出す「神幸祭」「神輿宮入」には毎回30万人以上が訪れるそうです。次はぜひ、祭りの時期にも訪れてみたいと思いました。

実はこの日、境内をよく見て回ると、有名な小説の主人公にまつわる石碑や、思わず二度見してしまうような展示品など、ちょっと意外な発見がいくつもありました。次回の記事「神田明神にはこんなものもありました」では、そうした境内の隠れた見どころをじっくりご紹介したいと思います。

石屋としての目線

「近くまで来たのでついでに」くらいの軽い気持ちで訪れたのですが、由緒を読み、境内をひと通り歩いただけで、その歴史の重みに驚かされる参拝となりました。日頃、石材を扱う仕事をしていると、こうした古社の隨神門や燈籠、盆栽を支える石の器ひとつにも、つい目がいってしまいます。730年の創建から1300年近くにわたり、江戸・東京の中心で人々の営みを見守り続けてきた神社が、令和の今も新しい文化を取り入れながら生き続けている姿に、身の引き締まる思いがしました。

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