鎌倉 東慶寺 鈴木大拙のお墓
先日、鎌倉まで足を運び、北鎌倉の東慶寺にある鈴木大拙先生のお墓にお参りしてきました。境内には花や新緑があふれ、しばらく手を合わせながら、先生の思想に触れてきたこれまでの日々を振り返っていました。
お断り:東慶寺は境内の写真撮影が禁止されているため、今回は写真なしでの投稿となります。
東慶寺と鈴木大拙
東慶寺は「縁切り寺」「駆け込み寺」として知られる北鎌倉の古刹ですが、境内の一角には、日本の禅と仏教思想を世界に伝えた鈴木大拙先生が静かに眠っています。
大拙は晩年、東慶寺に隣接する形で私設図書館「松ヶ岡文庫」を1946年に創設し、当時の住職・井上禅定師とともにこの地で研究と著述の生活を送りました。1966年7月12日、95歳でその生涯を閉じ、命日には今も東慶寺で「大拙忌」の法要が営まれているそうです。
東慶寺に眠る、もう一人の親友 西田幾多郎
東慶寺の墓所を歩いていて、あらためて感じ入ったのは、鈴木大拙のすぐ近くに、生涯の親友であった哲学者・西田幾多郎(にしだ・きたろう、1870〜1945)が眠っているということでした。
西田幾多郎は、大拙と同じ石川県の生まれで、二人は金沢の第四高等中学校(現在の金沢大学の前身)で出会い、そこから60年近くにわたって続く親交が始まります。大拙が経済的な事情で四高を一年で中退した後も、西田は帝国大学への進学を勧めるなど、若き日の大拙を陰に陽に支え続けました。西田は後に京都帝国大学教授となり、『善の研究』(1911年)によって「西田哲学」と呼ばれる独自の思想を打ち立て、京都学派の創始者として知られるようになります。参禅の経験に裏打ちされた「純粋経験」の哲学は、西洋の哲学者たちにも大きな影響を与えました。
禅と哲学、アメリカと京都と、それぞれ異なる道を歩みながらも、二人の親交は生涯途切れることがありませんでした。大拙の代表作のひとつ『禅と日本文化』には西田が序文を寄せていますし、逆に西田は禅の実践において大拙から多くを学んだといわれています。1945年6月、西田が疎開先の鎌倉で息を引き取った際、大拙はその亡骸を前にして号泣したと伝えられています。西田の葬儀は東慶寺で営まれ、法名は「曠然院明道寸心居士」。奇しくもそれから21年後、大拙自身も同じ東慶寺の土に還ることになりました。
同じ金沢に生まれ、同じ高校で机を並べ、それぞれの分野で世界的な仕事を成し遂げた二人が、最後には同じ寺に眠っている――そのことを思うと、お墓参りの足取りも自然と重くなります。
その他、東慶寺に眠る人々
東慶寺には、西田幾多郎や鈴木大拙のほかにも、近代日本を代表する多くの文化人が眠っています。今回目にできた範囲だけでも、次のような方々のお名前がありました。
- 和辻哲郎(1889〜1960) 哲学者・倫理学者・文化史家。『風土』『人間の学としての倫理学』などの著作で知られ、人と人との「間柄」を軸に独自の倫理学を築きました。
- 小林秀雄(1902〜1983) 文芸評論家。近代日本の文芸批評という分野を確立した人物とされ、『モオツァルト』『本居宣長』などを著しました。
- 岩波茂雄(1881〜1946) 岩波書店の創業者。
- 高見順(1907〜1965) 小説家・詩人。
- 谷川徹三(1895〜1989) 哲学者。詩人・谷川俊太郎の父としても知られます。
- 織田幹雄(1905〜1998) 日本人として初めてオリンピックで金メダルを獲得した陸上選手(三段跳び)。
- 大松博文(1921〜1978) 東京オリンピックで女子バレーボールを金メダルに導いた「東洋の魔女」の監督。
- 赤瀬川原平(1937〜2014) 前衛美術家・作家。
思想家から文学者、スポーツの世界で歴史をつくった人まで、実に幅広い顔ぶれです。一つの寺の墓域を歩くだけで、近代日本の精神史をたどっているような、不思議な気持ちになりました。
鈴木大拙とはどんな人か
- 生没年:1870〜1966(石川県金沢市生まれ)
- 立場:仏教学者・宗教哲学者
- 主な功績:1897年に渡米し、英語で禅と大乗仏教を欧米に紹介。1921年に大谷大学教授に就任し、東方仏教徒協会を設立、英文誌『イースタン・ブディスト』を創刊
- 代表著作:『日本的霊性』『妙好人』(1948)、『大乗起信論』英訳、『教行信証』英訳 ほか
1948年に著された『妙好人』は、私が特に思い入れのある一冊です。「妙好人」とは、学問や地位に関わりなく、ひたむきな念仏の生活の中で深い信心の境地に達した市井の念仏者たちのこと。大拙はこうした無名の人々の言葉のうちに、日本人の宗教的な感性の核心を見出しました。
難しい教義の言葉ではなく、市井の人の生きた言葉から仏教の本質に迫ろうとする姿勢に、はじめて触れたときの驚きを今でもよく覚えています。
もう一冊、私が繰り返し手に取ってきたのが『親鸞「教行信証」(現代語訳)―鈴木大拙の英訳にもとづく現代日本語訳―』(親鸞仏教センター編)です。大拙が英訳した『教行信証』をもとに、あらためて現代の日本語に訳し直した一冊で、英訳を経由することで却って原文の骨格がくっきりと見えてくるという、不思議な読書体験をさせてくれます。
『親鸞の世界』―四人の思想家
鈴木大拙先生について調べていると必ず出会うのが『親鸞の世界』(真宗文庫、東本願寺出版)という一冊です。近代日本の仏教思想を代表する四人、鈴木大拙・曽我量深・金子大栄・西谷啓治が、それぞれの立場から親鸞と向き合った言葉をまとめています。
| 氏名 | 生没年 | 立場 |
|---|---|---|
| 鈴木大拙 | 1870〜1966 | 仏教学者・宗教哲学者(大谷大学教授) |
| 金子大栄 | 1881〜1976 | 真宗大谷派僧侶・仏教思想家(大谷大学教授) |
| 曽我量深 | 1875〜1971 | 真宗大谷派僧侶・仏教思想家(大谷大学第17代学長) |
| 西谷啓治 | 1900〜1990 | 哲学者・京都学派(京都大学教授) |
金子大栄
金子大栄(かねこ・だいえい、1881〜1976)は、真宗大谷派の僧侶であり仏教思想家です。1901年に真宗大学(現在の大谷大学)予科に入学し、初代学長であった清沢満之の影響を強く受けました。1917年に大谷大学教授となりますが、1925年の著書『浄土の観念』が教団内で「異安心」とみなされ、1928年に教授職を辞するという苦難を経験しています。その後1942年に教授として復職し、1951年に名誉教授となりました。生涯を通じて『教行信証』の研究と講話に力を注ぎ、伝統的な浄土真宗の教えを、深い自己省察に基づいて近代の言葉で語り直した人です。
実を言うと、私自身の宗教観の土台をつくってくれたのは、この金子大栄という人でした。たまたま手にした本「歎異抄 仏教の人生観」を読んで、ただ静かに感動したことをよく覚えています。「信じる」ということそのものの手触りを、初めて言葉として受け取ったような気がしました。
曽我量深
曽我量深(そが・りょうじん、1875〜1971)も真宗大谷派の僧侶・仏教思想家です。1899年に真宗大学本科を卒業して教授となりますが、1911年の大学の京都移転に反対して一度は辞任。1925年に教授として復帰し、1941年には真宗大谷派の最高学階である「講師」に任じられました。1961年からは大谷大学の第17代学長を1967年まで務めています。『歎異抄聴記』(1947)をはじめとする著作群を通じて、法蔵菩薩の物語を唯識思想の阿頼耶識と重ね合わせて論じるなど、伝統的な教学を独自の視点で読み解き直し、近代の仏教思想界に大きな足跡を残しました。
曽我量深の著作は、実は今も私の身近にあります。有志が集まって曽我量深の本を読み進める勉強会を、今も現在進行形で続けているのです。決して易しい文章ではありませんが、だからこそ何度も読み返すたびに新しい気づきがあります。
西谷啓治
西谷啓治(にしたに・けいじ、1900〜1990)は、石川県生まれの哲学者で、京都学派を代表する一人です。京都帝国大学文学部哲学科に進み、西田幾多郎に師事しました。専門は宗教哲学で、後半生は禅仏教への傾倒を深める一方、ドイツ神秘主義やロシアの虚無主義思想にも強い関心を寄せ、芭蕉や寒山詩、トルストイ、リルケをめぐる考察や随筆も数多く残しています。代表作に『神と絶対無』(1948)、『宗教論集』(1961)などがあります。戦前には「近代の超克」の座談会に参加し、戦後は公職追放を受けるという経験もしていますが、その後も京都大学教授として宗教哲学の研究を牽引し続けました。
四人をつなぐもの
禅と英語による国際発信の人・大拙、教団の中で苦難を経験しながら念仏の教えを語り直した金子大栄、独自の教学で真宗の伝統に新しい光を当てた曽我量深、そして西洋哲学と禅の対話を試みた西谷啓治。立場も方法もまったく違う四人が、それぞれの言葉で親鸞という一人の人物と向き合っている。『親鸞の世界』という本は、その四つの視点が重なり合うところに、独特の奥行きを生み出しているように思います。
お参りを終えて
東慶寺の墓所で手を合わせながら、こうして本を通じてしか知らない先生方のことを、あらためて思い返していました。写真こそ残せませんでしたが、金子大栄の本に感動した日のこと、曽我量深の勉強会で仲間と首をひねりながら読み進めている時間のこと、そして大拙の英訳から生まれた『教行信証』を読んだときの不思議な感覚のこと――そうした自分自身の歩みを、今回のお墓参りであらためて確かめることができたように思います。
残念ながら写真撮影禁止の為、この文章だけで鎌倉での時間をお伝えできればと思います。

1級お墓ディレクター・真宗大谷派教師・建築石材アドバイザー・石材産業協会災害委員の私が書きました!

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