投稿者の自己紹介

そういえば、投稿者の自己紹介をしていないことに気付いてしまいました。

簡潔ではありますが自己紹介をさせていただきます。

生まれ

良くある話ですが、覚王山日泰寺門前の墓石屋「山田石材合資会社」の息子として生まれました。

4兄弟の末っ子ながら、なんとなく自分は墓石屋を継ぐのであろうなぁと漠然と考えている子供時代を送りました。

子供の頃の出来事でいまだに忘れられないのは、父に「飛行機に乗せてやる」との甘い言葉に誘われて、休みの日に小牧空港に父親と二人で小牧空港に向かいました。ワクワクしながら想像していたよりかなり小さい飛行機に乗り、付いた先は四国。目的地は「香川県 庵治」でした。ええ、今ならわかりますよ、僕だって墓石屋です。でもね、小学生ながらにお墓の原石見学は面白くないですよ。いまだに何だか騙された感がありますよ。大きな庵治石の原石の前で感動している父のことが理解できませんでした。(今ならわかります)

お墓参りというと子供の頃から、山田家のある「覚王山 北山霊苑(当時は北山共同墓地でした)」(名古屋)、母の実家である「一宮妙興寺」、さらに祖母の実家である岡崎のお墓参りが当たり前の家庭で育ちました。

高校にもなってくるとバイトがしたくなってくるので父に相談したところ、容赦なく現場の手伝いに駆り出されました。(当時は非常に後悔しました。大変すぎて)

またよく本を読む父でしたので、その影響からか仏教系の高校に進学したときに「宗教」の授業の点数だけがやたらと良い(誰も点数を取らない為ですがw)その他は非常に平均的な人間でした。

ターニングポイント

そんな「宗教」のみ点数が良いのが担任の目に留まり、進学先を「宗教系」にしてみてはどうかと指導していただきました。(この時すすめてくださった「加藤先生」には今でも感謝しきれないです)そんな感じで進学したのが、名古屋で断トツの勢力を誇る真宗大谷派が母体の「大谷大学」でした。

資格一覧に「お坊さん」がありビックリ

なんとなく将来役に立つかなと思いながら、「大谷大学」に進み授業の選択をしようと資料を読んでると「教師資格」の文字を見つけました。先生??いや学校の先生は「教職課程」です。ちゃんと別にあります。よくよく読むと「お坊さんの資格」です。ビックリしました。さすが宗教系の大学です。予想外でした。それを見たときに考えたのは「取ってみよう」です。有難いことに、自分の学科とほぼ単位がかぶってますので、どうせ取らなきゃいけない授業ばかりです。これは取らない手はないと思いました。しかし「教師資格」を取るには「得度」が条件と書いてあります。なんでしょうね「得度」って。当時は聞いたこともありませんでした。

大学一年時に「得度」

要は得度は「頭をそって戒名(浄土真宗では正しくは「法名」)をいただくこと」を意味します。これは身元引受人である「寺院」が必要でした。これは父にお願いして、お寺様に許可をいただきました。また、簡単な試験があり「正信偈 草四句目下」「仏説阿弥陀経」が読めることとあります。当時の心境は「よし、正信偈は子供の頃から呼んでるし、勢いで阿弥陀経を読もう!」と思ってました。何とか通過しましたが、自信のあった正信偈は「名古屋節(なごやぶし)」が強すぎると、注意を受ける始末でした。そんなこんなで、なんとかクリアをして「教師資格」が取れる前段階の得度を受けられるにいたりました。得度式の内容はまた書きたいと思います。ようやく大学にはいって好きな髪形ができる最初の選択肢は「つるつる」でした。

本当に「ピカピカ」の一年生

せっかくの青春を「つるつる」で行かなくてはいけないのは非常に恥ずかしいと思っていましたが、実際は「よくあること」なので、だれも奇異の目で見ないことに驚きました。ほとんどのお寺の子は「9歳」で得度ができる為、子供の頃に「つるつる」を終わらせておくのですが、大学に入ってからもいる為「ああ、今なの?」ぐらいです。全く平気でした。むしろ「坊主頭あるある」(枕がずれない・暖簾が引っかかるなど)を教えてくれる同級生ばかりでした。

大学の授業

学ぶことの中心は「歎異抄」「教行信証」「大無量寿経」など聞いたこともない言葉ばかりでしたが、非常に楽しく学ぶことができました。またこの時に「寺族(お寺に生まれた人)」の苦しみなんかも聞くことができたことも良かったことの一つです。特に「修練」という時間が非常に貴重な時間でした。若干「仏教ダイスキ」すぎる僕の性格はこの時点での学びが非常に大きく影響していると思います。

恩師との出会い

有難いことに大学生活にて「恩師」(と勝手にこちらが読んでいるだけですがw)と出会わせていただくことができました。お二人いらっしゃったのですが、お一人は常に身近にいて、僕の愚痴などをやさしく厳しくいさめてくださいました。もう一人の先生は苦しんでるときに非常に笑顔で厳しい言葉を投げかけてくださいました。このお二人がいたからこその素晴らしい大学生活でした。

墓石やとしての修行

無事「教師資格」(お坊さんの免許)を取得しましたが、名古屋に帰ってきたら墓石屋の「現場」としての生活が始まりました。親方に怒鳴られ、泣きながら仕事をしたこともありました。なかなか石は触らしてもらえませんし、下っ端なので「一輪車」と「セメント練り」の毎日でした。何年かしてようやく独り立ちできるようになったころ、お客様のご案内を徐々にさせてもらえるようになりました。

今に至る

現在は現場をたまに手伝う程度になり、営業の立場としてお客様にお墓のご説明をさせていただいています。上記のような育ちかたをした人間ですのでご留意いただき、存分にご利用くださいます様、お願い申し上げます。

山田昌史

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