仏教「超基礎」講座 その2「結集」

前回は「お経」について簡単に述べました。

第二回はお経の成立した、「結集」について述べたいと思います。

結集

主要メンバー

お釈迦様が入滅されてすぐに、教えをまとめようと僧侶たちが集まりました。この時500人の比丘が集まったことから「五百結集」といわれています。

結集は、仏教第二祖といわれている

「魔訶迦葉(マハーカッサパ)」が議長になり、

「阿難(アナンダ)」が経(教え)をまとめ、

「優波離(ウパーリ)」が戒律(ルール)をまとめたといわれています。

 

この時にまとめられたのが「経」と「律」の「二蔵」といわれています。

この結集でお経をまとめる際に、お釈迦様の傍らで教えを聞き続けた阿難が「私はこのように聞きました」と、発表したといわれており、大多数の「お経」は「如是我聞(かくの如く我聞き)」という文章から始まっています。こういったことを見てみると、お経というのはお釈迦様が亡くなった後すぐに阿難が口伝で聞いていたものを、まとめたものになります。

ですから、如是我聞の「我」と言うのは、阿難のことを指すと言われています。

ロ伝

最初の結集の時には、まだ筆記されていなかったようで「ロ伝」と言われています。

そもそも結集の語源は「皆で歌うこと」といわれています。500人がみんなで歌うと想観でしょうね。それが今の集団でお経をあげるこに繋がっているかもしれませんね。そう考えると言語はもちろん変わってしまっていますが、やり方は2500年前と変わっていいないというのも面白いものですね。

集合場所

最初の結集なので「第一結集」(だいいちけつじゅう)ともいい、集合場所は「王舎城」(ラージャグリハ)近郊と言われています。

王舎城は現在も遺跡が残っており、仏教の遺跡の中でも大切にされている場所となっています。

経典の中にも登場しており「観無量寿経」の内容は王舎城の悲劇と言われており、手塚治虫の「ブッダ」にも出てくる話ですから、ぜひ読んでください。

私自身も「王舎城」「霊鷲山」にも行ったことがあり、非常に感動した覚えがあります。もしインドに行かれる機会がありましたら立ち寄ってみてもいいかもしれません。ただし私が言った頃は何もなかったので、今は少し変わっているかもしれません。

第二結集

第二回は、お釈迦様が亡くなられてから100年頃といわれています。

亡くなられてから100年もたつと戒律上の異議が生じたともいわれ、もう一度見解の統一をさせる為に集まったといわれています。

この時の人数は第一結集の500人よりも増えて700結集といわれています。

第二結集の場所

第二結集の場所はヴァイシャーリーといわれています。ここはお釈迦様存命中にも訪れたことがあるらしく、経典にも登場するようです。

ちなみに僧侶集団の語源でもある「サンガ(僧伽)」という言葉は、この(ヴァッジ国商業都市である)ヴァイシャーリーという商業の発展した土地の運営方式である「サンガ」を教団にも用いたことから、「サンガ」が定着し「僧伽」と訳され、今日の「僧(そう)」に繋がっているといわれます。

 

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