宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、日本各地の寺院や旧家の墓地で目にする石塔のひとつです。笠させ隅に「隅飾(すみかざり)」と呼ばれる独特の突起を持つ姿が特徴で、古くから貴人や名家の供養塔・墓碑として建てられてきました。
名前の由来
「宝篋印塔」という名称は、『一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経(いっさいにょらいしんひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらにきょう)』というお経に由来します。
このお経には、「宝篋印塔を礼拝・供養することで、故人が現世で犯した罪業が消滅し、極楽浄土に往生することができる」と説かれています。また、先祖を供養するだけでなく、子孫を守り一族に繁栄をもたらすという功徳もあるとされ、多くの如来が宿る塔として尊ばれてきました。
歴史と伝来
インドから中国へ
宝篋印塔の遠い起源は、インドのアショーカ王(紀元前3世紀)が仏陀の遺骨(仏舎利)を納めて諸国に建てたとされる8万4千の仏塔にさかのぼります。
中国では、呉越王・銭弘俶(せんこうしゅく、979年没)がこの故事にならい、「延命祈願」を目的として小型の金属塔を大量に鋳造し各地に配布しました。これが「銭弘俶塔」と呼ばれるもので、宝篋印塔の原型とされています。
日本への伝来と普及
日本には鎌倉時代初期ごろに伝わったと考えられており、鎌倉中期以降に密教の影響を受けながら石造の大型塔として急速に広まりました。当初は木製の小さな経塔として作られていたものが、石材の加工技術の発展とともに大型化・意匠化されていきました。
鎌倉・室町時代には武家や公家などの貴顕層が先祖供養や自身の逆修供養(生前に行う追善供養)のために盛んに建立しました。江戸時代になると装飾性がさらに高まり、隅飾が外側へ大きく反り返る様式へと変化しました。
形と構造
宝篋印塔は、上から次の部分で構成されています。
| 名称 | 説明 |
|---|---|
| 相輪(そうりん) | 最上部。宝珠・請花・九輪・伏鉢などが積み重なった部分。塔全体の中心軸となる |
| 笠(かさ) | 階段状の刻みを持つ傘型の部分。四隅にうる「隅飾(すみかざり)」が宝篋印塔最大の特徴。内側が二弧・三弧に刻まれるものもうる |
| 塔身(とうしん) | 四角柱の胴体部分。梵字・仏像・月輪などが刻まれることがある。関東では四角い輪郭線が入る「関東形式」が見られる |
| 基礎(きそ) | 塔身を支える台座。上端が階段状に刻まれ、側面に格狭間(こうざま)の装飾が入ることが多い |
| 基壇(きだん) | 最下部の土台。石畳や切石が用いられる |
関西形式と関東形式
宝篋印塔の形式には地域差があります。関西では塔身に輪郭線がなくシンプルな四角柱のものが多く(関西形式)、関東では塔身の各面に四角い輪郭線が刻まれ、基礎部の装飾も複雑なものが見られます(関東形式)。時代が下るにつれて装飾が増す傾向があります。
宗教的な意義
宝篋印塔が持つ功徳は大きく二つです。
ひとつは滅罪と往生。宝篋印陀羅尼経の教えにより、塔を礼拝・供養することで故人の罪が消え、極楽往生が叶うとされます。もうひとつは子孫守護と一族繁栄。宝篋印塔を通じて多くの如来の力が及ぶとされ、現世の子孫をも護るという信仰です。
また、「右旋礼拝(時計回りに塔の周囲を礼拝する)」によって加持が得られるとされており、単に建てるだけでなく、礼拝の対象として機能する塔でもあります。
現代における宝篋印塔
今日でも、旧家・名家や寺院の歴代墓として宝篋印塔が建立されています。「100年以上前のご先祖様を供養するためのお墓」という位置づけで、通常のお墓の隣に供養塔として建てられるケースも多くあります。
古い宝篋印塔は、鎌倉・室町時代のものが重要文化財として指定されているものも多く、石造文化財としての価値も高いものです。
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