大地のずれを歩く ― 深溝断層と本光寺をたずねて(中編・幸田)
日本石材産業協会 愛知県支部の見学ツアーの様子を、三回に分けてお伝えしています。前編では、安城市と西尾方面の三河地震の伝承碑をめぐりました。中編の今回は、いよいよこのツアーのいちばんの見どころ、幸田町の「深溝断層」と、地震で被災したお寺・本光寺です。
碑に刻まれた文字で地震を知るのが前編なら、今回は大地そのものが残した傷あとを、自分の足で歩いてきました。
草地の中に、断層が残っている
幸田町にある「深溝断層」は、昭和50年に愛知県の天然記念物に指定された場所です。三河地震のときに動いた活断層が、なんと今もそのまま保存されているのです。
現地は、木々に囲まれた、のどかな緑の一帯でした。一見すると、ただの気持ちのよい草地に見えます。ところが案内板と、地面に並んだ赤・緑・黄色の杭を見ると、景色の見え方がガラリと変わります。その杭は、断層をはさんで大地が「ずれた」量を示す目印だったのです。
案内板によれば、このとき地表には最大で一メートルほどの横ずれと、一メートル半ほどの段差が生じたそうです。逆断層の動きと横ずれが重なって、地形そのものがずれてしまった。数字で聞くとピンとこなくても、目の前の杭の並びを見ると、大地がぐいと動いた瞬間の力が想像できて、思わず息をのみました。

足元でわかる、大地の力
会員みんなで、断層に沿ってのびる細い遊歩道を歩いていきました。ゆるやかに見える斜面が、じつは断層による地形のずれなのだと聞くと、一歩一歩の感触までちがって感じられます。
私たちはふだん、石という「動かないもの」を扱っています。どっしりと構えて、何十年も何百年も同じ場所に立っているのがお墓です。けれど、その足元の大地は、こうして時に大きく動く。石を据える土台のことまで思いをめぐらせる、よいきっかけになりました。断層の前に立つと、自然への謙虚な気持ちが自然とわいてきます。
断層の残る現地で、参加者全員の集合写真も撮りました。学びの多い時間を共有した仲間との一枚は、このツアーのよい記念になりました。

本光寺 深溝松平家墓所へ
午後は、深溝松平家の菩提寺である本光寺をたずねました。朱塗りの立派な総門をくぐると、静かで気持ちのよい境内が広がっています。
ここは震源に近く、三河地震では石垣や土塀が大きく崩れました。おどろいたのは、復旧された箇所と、被災したときのまま残されている箇所が、今も並んで存在していること。崩れた石垣を目の前にすると、あの揺れがどれほどのものだったかが、ぐっと現実味をもって迫ってきました。

歴代のお殿様がまつられた墓所には、五輪塔や宝篋印塔が整然と並んでいます。石工の技術という面でも見ごたえのある空間で、私たち石材店にとっては、まさに勉強の宝庫でした。参道の脇には「願掛け亀」と呼ばれる亀の形の石造物もあり、みんなで由来を読み込みました。
境内をめぐりながら、会員同士で「この石はどこの産だろう」「継ぎ目の直し方がていねいだね」と、あちこちで話がはずみます。同じ石を見ても、それぞれの店で気づく点がちがうのがおもしろいところ。プロの目が集まると、一つの墓所からこんなにも学びが引き出せるのかと、あらためて感じ入りました。古い石造物は、そこにあるだけで、当時の職人の仕事ぶりまで静かに語ってくれます。
石造物が受けた、地震
お墓や石灯籠、五輪塔といった石造物は、地震のときにどう揺れ、どう倒れ、どう残るのか。本光寺では、それを実物で学ぶことができました。
崩れた石垣は痛々しいけれど、同時に「石はこうして被害を受けても、記憶をとどめる」という事実も教えてくれます。倒れた石が語ること、残った石が語ること。その両方に耳をすませた一日でした。名古屋で石にたずさわる私たちにとって、据え方や組み方をあらためて考えさせられる、貴重な時間になりました。
次回はいよいよ後編。蒲郡に残る「地割れ」の跡と、一日の締めくくりとなった懇親会の様子をお届けします。もう少しだけ、おつきあいくださいね。
お墓の地震への備えや、五輪塔・石造物のこと、気になることがあれば、光徳石材(名古屋市名東区つつじが丘)へお気軽にご相談ください。ちょっとした疑問でも大丈夫です。
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