一口法話 お墓参りで大切なこと

墓石にふれることで生まれる実感

お墓参りに行くと、少し手を添える方もいると思います。
石が冷たかったり、日が当たって温かかったりする。
雨のあとなら、少し湿っている。
その感触にふれると、ただ「思い出している」のとは少し違う気持ちになります。
「ああ、来たな」
「ここにお参りに来たんだな」
そんな感じがします。
お墓のよさは、そこにあると思います。
思っているだけではなく、実際に行ける。
手を合わせられる。
触れることができる。
これは、石のお墓だからできることです。

自分の手でできる供養

家で写真を見ることもできます。
心の中で思い出すこともできます。
それも大切です。
でも、お墓に行くと、自分の手でできることがあります。
水をかける。
汚れを落とす。
花を立てる。
線香をあげる。
ろうそくに火をともす。

どれも特別なことではありません。
けれど、ひとつひとつ手を動かしているうちに、自然と気持ちが整っていきます。
「きれいにしてあげたい」
「お参りに来ました」
そういう思いは、言葉にしなくても、ちゃんと行いに表れます。

お墓はその「できる事・触れる」ということがとても大切で、これができるからこそお墓参りと言えると思います。

お墓に水をかける

いつでも会いに行ける場所

お墓は外にあります。
だから、雨にもあたります。
風にもあたります。
草も生えます。
汚れることもあります。
でも、外にあるからこそ、思い立ったときに会いに行けます。
お盆やお彼岸だけでなく、命日でも、近くを通った日でも、ふと思い出した日でもいい。
お墓は、いつ行ってもそこにあります。
静かに迎えてくれます。

家族だけでなく、ご縁のある人も訪ねられる

そして、お参りするのは家族だけではありません。
親戚も、友人も、生前にご縁のあった方も、お墓に手を合わせることができます。
亡くなった方とのつながりは、家族の中だけにあるものではありません。
「あの人にお世話になった」
「あの人に会いたくなった」
「少し報告したいことがある」

そんな気持ちで、お墓に立ち寄る人もいます。
お墓は、亡き人とご縁のあった人が、それぞれの思いで訪ねることのできる場所です。

花・香・灯りに込められた意味

お花を立てる。
お線香をあげる。
ろうそくをともす。
この三つにも、昔から大切にされてきた意味があります。
花は、目に見える美しさもあり、場を静かに整えてくれます。
香は、場を清めるとともにこちらの身を清めてくれます。
灯りは、仏教の智慧を表し、心を清めると同時に行き先を示してくれる意味もあると思います。


仏教では、仏さまの世界は美しく荘厳された世界として説かれます。
花と香と灯りを供えることは、私たちが浄土を作るということではありません。
お参りする場を整え、荘厳された浄土の仏さまに心を向ける。
亡き人をご縁として、仏さまの願いにふれる。
そういう意味があるのだと思います。

難しく考えず、まず手を合わせる

ただ、難しく考えすぎなくてもいいと思います。
まずは、お墓に行く。
手を合わせる。
できることをする。
墓石に手を添える。
水をかける。
花を供える。
線香をあげる。
ろうそくをともす。
その一つひとつが、お墓参りです。

小さな行いの積み重ねが供養になる

お墓は、亡き人を思う気持ちを、手で触れられる形にしてくれます。
そして、家族や友人が集まり、それぞれの思いで手を合わせられる場所です。
お墓参りで大切なのは、立派なことをすることではありません。
会いに行くこと。
触れること。
自分の手で供えること。
その小さな行いの積み重ねが、供養になるのだと思います。

お墓やご供養のことで気になることがあれば、名古屋の石材店・光徳石材の山田までお気軽に。訪問営業やしつこい電話はいたしません。

名古屋の墓地と墓石の風景

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