一口法話 問うこと。信じること。

お墓の前で手を合わせていると、ふと、以前とは違うことを感じる日があります。同じ場所、同じ所作のはずなのに、心に浮かぶものが少しずつ変わっていく。

私はそのことを、とても大切だと思っています。

私たちが開いている勉強会では、「今日ここで学んで、それで終わりにしてしまったら、そこで歩みが止まってしまう」と、よく語り合います。信仰とは、正解をひとつ覚えて安心してしまうことではありません。むしろ、問いを手放さずに持ち続けることそのものが、信じるということなのではないか。そんな思いを、参加してくださる方々と繰り返し確かめ合っています。

分かったつもりになった瞬間に、私たちはたいてい何かを見失います。逆に、「本当にそうだろうか」と問い続ける姿勢の中にこそ、仏さまの教えは静かに息づいているように思うのです。

「お参りとはこういうものだ」「お墓とはこういうものだ」「仏教とはこういうものだ」「お墓の本質とはこれだ」

それは本当に正しいのでしょうか?

そうやって答えを決めてしまうことは、そこで立ち止まることではないでしょうか?

誰とお参りするか。

どのような出来事を経験した後なのか。

どのような思いで手を合わせるのか。

同じお墓の前に立っても、そのときに感じることは一人ひとり違います。自分自身の感じ方も、年月とともに変化していきます。

お墓は、問いと向き合う場所

お墓は、単に亡き人を思い出すための目印ではありません。

私たち石材店は、お墓を仏さまそのもの、あるいは仏像に近い礼拝の対象として大切に考えています。

同時に、お墓は家族や親族が集まり、それぞれの思いを抱えながら手を合わせる場所でもあります。

お墓の前では、すぐに答えの出ない問いと向き合うことがあります。

「あの人は、今の自分をどう見ているだろう」

「自分は、これからどのように生きていくのだろう」

「手を合わせるとは、どういうことなのだろう」

答えが見つからなくても構いません。

問いを抱えたまま手を合わせることにも、大切な意味があります。

去年とは違う気づきを大切にする

去年のお参りでは気づかなかったことに、今年は気づくかもしれません。

以前は悲しみだけだった場所で、感謝を感じる日が来るかもしれません。

反対に、長い時間がたってから、初めて寂しさがあふれることもあります。

その変化は、信仰が揺らいでいるからではありません。

問い続けながら手を合わせているからこそ、心が動き、新しい気づきが生まれるのではないでしょうか。

答えを急がず、分かったつもりにならず、問いを抱えたままお参りを重ねていく。

その歩みを、これからも大切にしていただければと思います。

お墓のこと、心のこと。ひとりで抱えず、いつでもお話しください。
石屋であり、真宗大谷派のお坊さんでもある山田が、そっとお聞きします。

お電話:052-773-1480(受付 9:00〜17:00/火・水曜定休)
毎月21日は覚王山・日泰寺前で「終活なんでも相談会」を開いています。

名古屋の墓地と墓石の風景

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